この「アマンサマーパレス北京」というホテルは、世界遺産「頤和園」の隣に位置しています。
特の僕らの部屋はホテルでも一番「頤和園」に近く、「頤和園」との境界の塀まで一部屋分、10メートルもありません。
やはりこのホテルに泊まるからには「頤和園」の見物ははずせません。
北京中心部のホテルに泊まると「頤和園」はかなり郊外、出かけてこようと思うとツアーに参加するか、自力でも地下鉄を乗り換えて1時間はかかります。
このホテルに泊まっている限りは、「頤和園」はフリーパス(入場料免除)。
しかも「頤和園」に行きたいとオペレーターかゲストリレイションに電話をすれば、数分以内にホテル・スタッフが部屋まで駆けつけてきてくれ、「頤和園」との間の秘密の門(笑)を開けて、地図や水、携帯電話の入ったナイキの黒いバッグを渡してくれます。
これは「頤和園」の正式の門の開閉以前・以後も可能だそうで、世界遺産を自分達で独り占め!も可能だとのことです。
本当にアマン・リゾーツはすごいことを可能にしてくれますね。
このホテルに着いたばかりですが、今夜はスパやディナーにも予定を入れている僕ら、「頤和園」に心が走りますが、時間が余りありません。
詳しくは明日以降にもう一度見ることにして「とりあえず」さわりだけ・・・と、午後7時過ぎに秘密の門をくぐりました。
ここで「頤和園」をもう一度おさらいしておきましょうか。
「エクスプロア北京」という僕が参考にさせてもらったサイトには
「皇室のサマーパレスとして名高い頤和園。
北京市街の西北約15kmにある、古典的で代表的な中国式庭園。
総面積は290haで、その3/4を湖が占める。
皇室庭園としては、金の時代(3、4世紀)頃から知られていたが、王室庭園として本格的に整備が始まったのは1750年のことである。
当時はまだ頤和園とは言わず清イ一園(「イ」はサンズイに猗)と呼び、その後光緒帝即位の後、当時垂簾政治をしていた西太后の意により1888年に詔勅が配布され、当時の海軍経費3000万両を流用して再建された(1895年完工)のを機に頤和園と呼ぶようになった。
辛亥革命後は、溥儀の私有財産となり、その後北京政府が一部軍閥の住宅に使用したりと、中国の権力者の影が見え隠れする地である。
現在のように公園として一般開放されるようになったのは、中華人民共和国が成立した後のこと」
とあります。
夏の時期の閉園時間は18時だと思うのですが、園内はまだまだ人がたくさん歩いています。
ホテルの門から歩くこと2~3分でこの景色ですから、もうびっくりするやら、驚くやら、感激するやら・・・です。中国~~~~!っていうクラシカルなイメージが100%感じられます(笑)。
人造湖「昆明湖」の畔には蓮の花が至るところに・・・。
僕、蓮の花、大好きなんです(笑)。
ハノイに行った時はわざわざタクシーで郊外まで見に行ったくらいです(笑)。
この時間ここにいる人たちは観光客というよりは、年間パスを持った地元の人達。
思い思いのスタイルで、日の翳った夕暮れを過ごしています。
7月中旬の時点で、この日の落ち方は午後7時半頃です。
湖の向こうに、印象的なというより「頤和園」のシンボルと言った方が良いでしょうか、「仏香閣」が見えています。
「仏香閣」はまたも「エクスプロア北京」によれば
「もともとは、ここに9層の塔が建てられるはずであった。
8層まで完成したところで都城の西北方に塔を建てるのは不吉とされたことと、昆明湖の広い水面に対し、細長い塔では如何にも貧弱であると騒がれたため、完成直前に全て取り壊された。
その後、杭州の銭塘江に臨む六和塔に従い、8閣3層、高さ41m、基壇の高さ20mに及ぶ仏香閣が造られた。
内部には南無大悲観世菩薩がある。
またここは、頤和園のシンボルと言われ、ここからの昆明湖の眺めは絶景である」
とのことです。
そうそう、そう言われれば杭州の「六和塔」に似ていますよね。
僕らのこの夕方の散歩はたったの30分くらい、広大な「頤和園」の1万分の1も見ませんでしたが、とても良い気分になれる場所でした。
(ただ昼間、特に週末は中国各地からの大観光客で激混みで、情緒もへったくれもなくなるそうです)
携帯でホテルに「帰るので、門を開けて欲しい」とTEL、数分後にはホテル・スタッフがしっかりドアを開けてくれ、1分で冷房のしっかり効いた自分の部屋まで戻れました(笑)。