コロンボ&香港 (17) キャンディの「仏歯寺」

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僕のコロンボ1日目は、「ピンナワラ象の孤児院」、「ペーラーデニヤ植物園」、そして古都「キャンディ」(KANDY)を尋ねるというオーダーメイド・タイプのツアー。
食事の後はいよいよ世界遺産「キャンディ」の町、もちろんその中心となる「ダラダー・マーリガーワ寺院」、通称「仏歯寺」へ参拝です。

「キャンディ」は標高300メートルほどのなだらかな山々に囲まれた盆地のようなところにあり、スリランカ北部で栄えていたシンハラ王朝が、インドからの侵略者に追われて南下、最後に選んだのがこの地だったと・・・。
周囲の山々が敵の侵入を拒み、イギリスによって滅ぼされるまで300年以上に渡って、シンハラ文化の華がここに咲いたとも・・・、「スリランカで最もスリランカらしいところ」とガイドブックにはありました。
「キャンディ」はかなり小さな町、鉄道駅近くの「ステーション・ロード」に並ぶおびただしい数の商店等を見た後は、さっそくキャンディ湖の畔にたたずむ「ダラダー・マーリガーワ寺院」、通称「仏歯寺」へGOです。
(入り口はご覧のように男女別)

色鮮やかな旗がひらめく参道を通り奥へ、あ、特徴ある八角形のシンハラ様式のお堂が見えてきました。
「仏歯寺」です。

「仏歯寺」?仏様の歯?
僕らにはピンと来ませんが、スリランカでは仏歯が王権の正統性の証しなんだそうです。
何でも「大涅槃経」(Mahaparinibbana Sutta)によれば、仏陀(釈迦)の死後、歯は遺骨と同様にインド各地に分割されたと・・・。
「チューラワンサ」(Culavamsa)の記載によると、スリランカには「スリー・メーガワンナ王」(301~328)の治世第9年に「カリンガ」(東インドのオリッサ)から「ブラーマン」の女性が右の犬歯を持ってきたとされ、ダンマチャッカ(法輪堂)で祀ったとのこと。
また「ダータワンサ」(Dathavamsa)によれば、左の糸切り歯が「カリンガ」の王女、「ヘーママーラ」によってもたらされたとも書かれているとか・・・。

いずれにしてもスリランカでは仏歯が王権の証しとされ、当初は「アヌラーダプラ」、次は「ポロンナルワ」と、王都が移動するとともに仏歯も移動、「仏歯の安置所」で祀られてきました。
それが現在はキャンディのここにあるというわけです。

毎年、「シンハラ暦」の「エサラ月」(新暦7-8月)には3週間にもわたる「キャンディ・エサラ・ペラヘラ祭」という祭りが開催されます。
行列(ペラヘラ)が主体の祭で、7日ずつ、「デーワーレ・ペラヘラ」、「クンバル・ペラヘラ」、「ランドーリ・ペラヘラ」に分かれて、巡行の範囲が次第に広がっていくんだそう・・・。
「クンバル・ペラヘラ」以降は、仏歯(ダラダー)を載せた象を先頭にして、旧王国を守護する神々(ナータ、ヴィシュヌ、カタラガマ、パッティニ)のご神体(ランアーユダ、剣)をのせた象が、キャンディの市内を行列して巡行すると・・・。

(これがペラヘラ祭りの時実際に象の上に乗る実物だそうです)
そしてこの奥に仏歯は安置されているそう、スリランカの人たちに交じって僕も僕、家族、そして皆様の健勝を祈ってきましたよ(本当です)。

オレンジ色の袈裟を着た本当のお坊さんも次々に手を合わせに来ます。
で、仏歯は、かつての王国の権威を再現して象徴的な支配秩序を再確認するだけでなく、雨をもたらすともされ、新たな農耕期の始まりにあたっての豊作祈願という農耕儀礼の様相も持っているそうです。
ただし、仏歯が行列の先頭にたつようになったのは、1775年以後のことであり、ペラヘラに仏教的意味を与えようとする国王の意図を以って導入されたとされていて、1948年以後は、シンハラ人の仏教徒の祭りという意識が高まってきているとのことです。

最近のペラヘラ祭りのきれいな映像がyou tubeにありましたので、参考までに。

(この時期はもちろんこの地域最高の観光シーズンで、見てみたい気もしますが、混み過ぎるかもしれませんね)

寺の中は土足禁止、ちゃんと靴を預けるところもあって、英語の表記もちゃんとあります。

ここには僕らのような外国人観光客もいますが、圧倒的にはスリランカの敬虔な仏教徒たち。

彼らは本当に熱心に祈りを捧げています。
ずっとこのスタイル
で手を合わせるカップル。
こちらはこのスタイルで祈りを捧げます。
皆さん、思い思いのスタイルで、でも本当に熱心に・・・。
ここ「仏歯寺」は彼らにとってはまさにそういうところ、その大本山なのです。

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