コロンボ&香港 (25) ついに「ルヌガンガ」に・・・

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僕がJALのマイレージを使っての特典旅行@年末年始の計画を立てている時に急速に脳裏に浮かんできた国、それがスリランカでした。
キャセパシフィック航空便を使えば、コロンボまでも特典で行けちゃうんだ・・・。
スリランカかぁ、紅茶の国だよな、アーユルヴェーダも有名、確か仏教遺跡など世界遺産もいくつもあるはず。
でも僕にとってスリランカって言ったらジェフリー・バワだよな・・・。
そうか、バワが作ったホテルを生で見に行っちゃえば良いんだ。
ホテルだけじゃなくて、彼が自分の理想郷とした「ルヌガンガ」というところも、彼のコロンボでの自宅「ナンバー11」だって、予約さえしておけば見られるはず・・・。
こう考えると僕の行動はほぼ瞬時、数分のうちに今回の旅程をJALのHPから予約完了していたのでした。
(実際にはその後仕事の都合で日にちは若干変更となりましたが・・・)
バワは1919年、ヨーロッパ系の裕福なスリランカ(当時はセイロンと呼ばれていました)の家庭に生まれ、ヨーロッパとスリランカの血の混じるバーガー(burgher)として社会に受け入れられないなどの苦労は多少はあったようですが、19歳の頃にイギリスのケンブリッジ大学へと留学、英文学を専攻したそうです。
大学卒業後は弁護士となり、1946年にスリランカへ帰国したとあります。
帰国後すぐに1年半にも及ぶ世界旅行をした後、自分の理想郷を作ろうと、ベントタに土地を買ったと・・・。
しかし建築の知識に欠けていたことから、イギリスへ再び留学、38歳となった1957年頃から建築家としての活動を始めたとのことです。
1967年ベントタのビーチリゾート開設に携わり(前述、「ベントタ・ビーチ・ホテル」)、以後数多くのホテル建築を手がけ、現在世界中でラグジュアリー・ホテルを展開しているアマン・リゾーツがその手本としたという、20世紀のアジアン・リゾート建築にもっとも強い影響を与えた建築家と賞されている人です。
で、ついに「ルヌルンガ」。
ベントタのメインロードから「えっ、こんな道?」と思うような細い道をうねうねと奥に入り、熟練のドライバーでさえ、ガイドと「この道で良かったっけ?」と目を見合わせるような道の奥に、高級車が数台停まっているところにやっと・・・。
どうやらここが「ルヌガンガ」の入口のようです。
コロンボから付いてきた僕の日本語ガイドも園内には入れず、しっかりした門番が鍵を開け、僕だけを更に丘の上にある「ルヌガンガ」まで案内してくれます。
(例によって入場料は僕の場合ツアー代金に込みでしたが、たぶん1250ルピー、入場料込のランチが3000ルピーだと聞いています)

うっそうと茂った緑の中に良く手入れのされた芝生、そして6軒あるという一戸建ての宿泊ヴィラ(11月から4月までの季節営業のようです)を左右に見ながら、案内されるのがここ。
「ルヌガンガ」の中心的なレセプション・エリアです。

辺りに聞こえるのは風にそよぐ木々の葉擦れの音、鳥の鳴き声、「ルヌガンガ」で飼っている犬達のじゃれる鳴き声・・・。
静かです。

時々通りかかる若いスリランカ人男性スタッフも全員物静かで控えめ、ここの静謐で平和、やや禁欲的な雰囲気にとてもマッチしています。

あぁ、ここに来るまでは大変でした。
どうやらこの正月の時期、ここもハイ・シーズンらしく、ヴィラはすべて埋まり、僕のような見学だけの者は基本的に不可というのが一番最初のメールでのやり取り。
その後、ここをツアーの一部に組み込んだ今回の会社を知り、そこから交渉。
その結果ヴィラの内部見学は不可、庭園見学とランチはOKということに・・・。
それが更には直前にランチまで不可と、やっとここに来られたものの、変更に次ぐ変更の果てにでした。
ここは彼の1948~1998年の作品。
つまりバワの建築家生活の始まり、そして終わりをも象徴する場所。
スリランカが英国からの独立した当時、彼は実はイタリアへの移住を考えていたそうなのですが、ここ「ルヌガンガ」に惚れ込みスリランカに残ることを決意したんだそうです。
この風情のある木のベンチで、案内役の登場を待ちます。

比較的きれいない英語をしゃべるスリランカ人男性スタッフが園内を説明しながら案内してくれます。
これは彼の書斎。

おぉ、いかにもバワといった世界が広がっています。

彼独自の感性のフィルターを通された彼のヨーロッパ、とくにイタリアなどの南欧への憧憬とスリランカ文化への敬意の入り混じり具合、そしてそこここに後の彼のホテル建築にも出てくる直線使い、シンメトリーの萌芽がもう・・・。
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イタリアっぽさの他に、スペインの影響もあるでしょうか。

全てが収まるべきところにぴたっと収まっている、そこから1センチずれていても変・・・。
「南欧+スリランカ」のイメージで作り上げたものとしても、そこにバワのピリピリするほどの感性が加わってるからこそのこの世界、やはり彼独特のものです。

ここにはたとえ動かなくても、この扇風機がこの位置にじゃないと駄目、バワってきっとそう考える人なんだろうなんて思いました。


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