ファーストクラスでジャカルタ弾丸 (10) ファタヒラ広場

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「グランドハイアットジャカルタ」の「グランドクラブラウンジ」で一息入れた後は、いよいよジャカルタの街に突入。
ホテル手配の「シルバーバード」タクシーは初乗り運賃が16000ルピア、通常のローカル・タクシーの2倍以上です。
その分、英語が分かる運転手だったり、車が良かったり、丁寧だったりは確かです。

まず最初の行き先は「ファタヒラ広場」(Taman Fathahillah)。
ジャカルタの街北部に位置する「コタ地区」、その「コタ駅」北側に位置する広場のことで、周囲にはオランダ統治下の「バタビア」(Batavia)時代の市庁舎や裁判所をはじめ、歴史的建造物が多く残っていて、現在は歴史博物館、美術館、ワヤンの博物館になっているところです。
「バタビア」とは懐かし響き。
はるか昔、16世紀頃、イギリス・ポルトガル・オランダなどが、香辛料貿易の利を求めてインドネシアに来航。
胡椒が超貴重品として、その値段が金の数倍なんて時代のことです。
インドネシアは香辛料の宝庫、1619年には「オランダ東インド会社総督」が「バタビア城」を築き、彼らのアジアにおける本拠地となり、その後長い間、植民地時代が続くことになるんだったんですよね(歴史の教科書)。
1942年に日本軍がインドネシアを占領、軍政をひいた際に「バタビア」から「ジャカルタ」に名前を変更。 
インドネシアが独立を果たした後も、日本統治時代の「ジャカルタ」の名称が引き続き使用され、現在に至っている・・・なんて歴史を感じる場所でもあります。
ところが、タクシーが停まったのはここ(約20分、77000ルピア)。
運転手がいう「サタデイ・ナイト・バザール」の真っ只中です。
道を埋め尽くす人、人、人。
おびただしい屋台、飲食店。
いかにもアジア~~~ンな雰囲気で、僕はこういう感じ、大好きですねぇ。
もちろん買うものなんかは何一つありません。
見ているだけで面白いんですよ。
で、この混沌の中に突然現れたこれは?
もしかするとこれが今建設中というジャカルタの地下鉄の駅?

こんな入口もある、何なんだろう、ここ。
その辺にたむろっているニーちゃんに聞いてみます。

英単語だけのやり取りでしたが、どうやらこれはバス・ターミナルへの入口みたいです。
僕が分かったのはその位、でもジャカルタもモダンですね、出入りがIC系カードとは・・・。
ここから「ファタヒラ広場」の方に入って行きます。
ものすごい人出、やはり「ジャカルタ歴史博物館」前で何かイヴェントをやっているようです。
これを見ると空いている感じでしょう。
でもこれは制限エリアの中の写真なんです。
普通の人はその外で押し合いへし合い。
入場料でもいるんでしょうか。
歌謡ショーあり、舞踏ショーあり・・・。
テレビも中継してるようです。
取りあえず超満員の人ごみの中を歩いていくと、屋台の他に、こんなコスプレというかゆるキャラが・・・。
似てないし、どれもみんな、夜目にも薄汚れている。これは一緒に写真を撮って、いくらかのお金をもらう商売のよう、数十人はこんな人がいました。
多かったのはお化け系、ゾンビなどですかね。

どうやらこの白い門がこのイヴェントの入口のよう。
どこにもチケットなど売ってるところもないので、入り口にいるインドネシアの伝統的な正装をした男性に「これは何のイヴェントですか?中に入れますか?」と英語で聞くと理解してくれ、「どうぞ、どうぞ。ご自由に」と・・・。
えっ、何で周りにいるおびただしい人は中に入れないの?
どうやらこれはテレビ中継も入るインドネシアの正装をしたカップルのビューティー・コンテストのようで、本当は招待制、ただ僕を外国人とみて、その場の判断で制限エリアに入って良いという特別許可だったようです。

ということで僕はステージから数メートルという好位置ですべてを見ることが出来ましたが、スピーディーな舞台進行に慣れている僕ら日本人には、すべてがゆっくり進行するので、途中で飽きてしまいました(ごめん、中に入れない外にいる大勢の人たち)。
ただインドネシアの正装をした美男美女カップルはたくさん見ることが出来ました。

周りの建物もこんな風。

さぁ、それでは「ファタヒラ広場」一の名所、「カフェ・バタビア」に行ってみましょうか。

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