思い出のホテルオークラ本館 (9) ホテルの夜

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8月末で営業を終えた「ホテルオークラ東京」本館、その在りし日の(嫌な表現ですね)夜の姿です。
「ホテルオークラ東京」(当時の「ホテルオークラ」でした)は大倉喜八郎の長男で大倉財閥の二代目である大倉喜七郎によって設立されたホテル。
公職追放により「帝国ホテル」を離れざるをえなかった大倉は、日本国憲法の制定によって、華族としての待遇も奪われたんだそうです。
しかし、国内屈指の工芸家たちへ日本の美を以って諸外国のVIPを迎えるホテルの理念を熱心に説き、その協力を得て、「ホテルオークラ」を開業させたと・・・。
「ウィキペディア」では
「明治以降の日本に存在したであろう貴族の精神を証明するという野心と『最後の男爵』としての意地により、『帝国ホテルを超えるホテル』をコンセプトに設立されたホテルである」
と評されています。

本館は大倉邸の敷地に、別館はJALの創業者である松方邸の敷地に建てられました。
本館向かいに建つ日本の私立美術館の草分けである「大倉集古館」(大正6年開館)は、大倉家の蒐集物を展示しています(現在は休館中)。

これが壊されて高層の2棟のタワーが建つのかぁ、改めてこの姿を目に焼き付けておかなければです。
中の表示もレトロ、天井も今となってはずいぶん低く、照明もやや時代遅れです。

この屏風風の世界時計は好きでした。

レストラン案内にも古めかしいながら、凛とした端正さがあります。
僕はアルコールには縁がありませんが、「オーキッドバー」でモクテルを1杯飲み、雰囲気に浸ってきました。
中は照度も低いし、写真を撮るような雰囲気でもなかったので、撮影は遠慮。
帰り際に入口近くから差しさわりのない方向で1枚記念にパチリしておきました。
バーは名残を惜しむ声がそこここから聞こえてくる高齢の人でかなりな満杯ぶり、適度なざわめきがアルコールをたしなまない僕にもとても心地良かったです。
こんな衝立も味がありますね。
唐突に天井からこんなハンギング・バスケットもありましたが、これ一つだけではデザイン的に統一性も取れないし、大好きなこのホテルのデザインもあらを探せばきりはないです。

1階から2階への階段。
レトロだなぁ。

宴会場近くの壁、これもとても今のホテルでは考えられない図柄ですね。

唐紙風のドア。

宴会場付近の壁もこのデザインです。

最期に夜のロビーの写真。

日付が変わる頃に照明が落とされますから、その前に写真撮っておこうとロビーに行ったのですが、僕が行った日もロビーはいつまでもかなりな人出でした。
人が途切れるということがありません。
なので、もう一度寝る前にロビーに来てみました。
それでも駄目、名残を惜しむかのようにカメラを構える人があちこちにいて、明らかに宿泊者じゃなさそうな人もいそう。
もう終電が・・・と思わず心配してしまうほどでした。

なるべく人が写り込まないよう、アングルを工夫して写真を・・・。=”https://shackinbaby.com/wp-content/uploads/2019/03/blog_import_5beef227e8ff8.jpg” width=”700″ height=”525″/>
輪島塗の机と、梅の花の形に散らされた椅子。
その感触を確かめるために、用もないのに座ってみたりします。

オークラランタンがやはり印象的ですね。
ホテルのエントランスホールとロビー、そして一部のレストランには、切子形を新しい素材で構成した照明具を、5個ないし6個つないだ吊り灯が配されていて、その独創的なシェイプからオークラランタンと呼ばれているのです。

切子形とは?
古墳時代の飾玉の一つ、切子玉に由来してるとのことです。
水晶の結晶柱を上下の側から切り落とし磨きあげたもので、菱形六面体が普通。
多くの場合勾玉や管玉と連ねて、首飾りその他に用いられたそうです。
また、水晶にかぎらず、ガラス製、瑪瑙製もあると・・・。
俗にいう切子灯籠にはこの形がとり入れられているのだそうです。
伝統的な和のデザインのモダン・バージョンということでしょう。

このサブとなる方の小さな照明もまた印象的な作り。
思い出の多過ぎる「ホテルオークラ東京」本館、思い入れが強すぎて過大に書き過ぎたかもしれません。
そしていつもより多い写真、これもちょっとうっとおしかったかもしれません。
人それぞれに思い出のホテルは違います。
僕にはこのホテルは青春時代から人生の折り返し点を過ぎた今までずっとそばにあったホテルで、すごく特別なホテルなのです。

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