食べて食べて岩手 (3) 3食めは盛岡冷麺@「ぴょんぴょん舎」

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盛岡で僕らの業界の会合。
ここでの報告はその合間をぬって食べ歩いた岩手の(B級?)グルメについてです。
夕方近くに食べた「わんこそば」がまだ胃に残っている時間に、会合の初日は全日程を無事終了。
出席者は三々五々仲間達と連れだって夜の盛岡に・・・。

とりあえずの夕食は東京にも支店のある有名な「ぴょんぴょん舎」か、これまた味に定評のある「盛楼閣」に行った人が多かったよう・・・。
両店とも駅前にあって、僕らが集まっていたホテルから徒歩数分の距離です。
ただ駅前は通りを渡るのに、地下道を通るようになっていて、その出口がたくさんあるので、最初はどこで上がったら良いのかちょっと迷ったりもしました。
これは雪が降っても大丈夫なように?凍っても大丈夫なように?ということなのでしょうか。
僕らグループは「ぴょんぴょん舎」駅前店に・・・。
ここは5階建てのビルで下から上まで全250席というかなりな大型店、それが本当に満席状態、ものすごい人気の店です。

僕らは大人数だったので、別れて テーブルに・・・。
ここは盛岡冷麺の店と聞いていましたが、メニューを見ると焼肉と冷麺がメインの韓国料理屋といった感じ。
ほとんどのテーブルでは焼肉が展開されていました。
地元の人は家族連れ、観光客はグループで、が多かった感じ。
席には色々なタイプの席が用意されていて、こういう今風な焼き台のないコミュニティー・テーブルもありました。

メニューは写真入りの分かりやすいもの。
もちろん友人たちは焼肉から・・・。
でも夕方に「わんこそば」を食べた僕は、焼肉はどこで食べても同じはずと、盛岡冷麺のみをオーダー。
もちろん肉数切れは、彼らの皿からお相伴に預かりましたけど。
で、これが有名な盛岡冷麺(770円)。
注文時、辛さも聞かれます。
ちょっと辛いくらいは「中辛」で良いでしょう。

盛岡冷麺の麺は、スパゲッティなどと同じで、小麦粉や片栗粉などを使った生地に強い力を加えて、麺の太さに合わせた穴から押し出して作られるそうです。
この時、麺が高温になりアルファ化するために強いコシが出ると・・・。
その強いコシ、付けあわせに使われる果物(この日は梨)、辛味として使われるキムチが冷麺を特徴付けています。

韓国で食べる冷麺よりすべてが日本人向きな感じで、僕は特にスープが美味しいと思いました。
良い材料使かってるな、手間暇かけてるなと感じるスープです。
そしてこれは焼肉を食べた友人たちが〆に頼んだプルコギとキムチのキンパ(380円)。

これは材料は良いものの、僕にはキンパの巻き方が緩すぎです。
友人達に「あれ、今日はあまり食べないよね。どうした?調子でも悪い?」と聞かれますが、まさか「わんこそば食べちゃったから」とも言えません(笑)。
それにこの時点では更に、別の友人グループと「白龍」(パイロン)という店に盛岡3大麺の一つ、「じゃじゃ麺」を食べに行く約束もしてあったのです。
でも、結局は焼肉を食べ終わった友人グループと2次会と称するところに行かざるを得ず、別のグループには丁寧にお断りを入れた次第。
「わんこそば」、「盛岡冷麺」、「じゃじゃ麺」と盛岡3大麺を制覇すればブログ的には面白かったのですが、お腹としがらみがそうさせてくれませんでした(ぐすん)。

最後に「ウィキペディア」から、盛岡冷麺と「ぴょんぴょん舎」に関する記述をコピペしておきます。
「盛岡冷麺」の名称を市内の店で初めて使用したのは、1987年(昭和62年)に「ぴょんぴょん舎」を創業した在日韓国・朝鮮人2世の邊龍雄(へん りゅうゆう、ピョン・ヨンウン)である。
それまで盛岡では、楊の店にならって「平壌冷麺」、または単に「冷麺」と呼ばれていた。
まだ「ぴょんぴょん舎」開店の準備中だった邊に、1986年(昭和61年)10月に盛岡で開かれた「日本めんサミット」出店の声がかかり、小さなブースで出した冷麺の看板に「盛岡冷麺」「ぴょんぴょん亭」の文字が書かれたのである。
「盛岡冷麺」という呼称を使うよう勧めたのは、サミット運営を担当した盛岡市職員の田口善政だったという。 田口は、盛岡式の冷麺が県外で「盛岡冷麺」と呼ばれているのを知っていたのである。
「盛岡冷麺」という名称は当初、在日のコミュニティーからは「故郷の味を安売りするもの」「祖国の食文化を日本に売り渡す」と猛反発を受けた。
が、これを機に徐々に「盛岡冷麺」の名が市民に浸透し始め、全国的にも盛岡の名物として知られるようになる。
邊をはじめ、楊を追って冷麺をつくり始めた店では、それぞれが独自の試行錯誤を繰り返し、盛岡冷麺の味は次第に日本人の味覚に合ったものに変化しつつある。


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