僕が一関という町に来た理由は、前回書いた一関の料理を代表するというもち料理「もち膳」を食べること。
「もち膳」だけで検索すると、「三彩館ふじせい」とかもっと料理そのものに力を入れてそうな店も見つかったのですが、実はグルメの後に行きたいところもあって、その2つがお互い行きやすいところにある「蔵元レストランせきのいち」を食事に選んだのです。
満腹のお腹をさすりながらレストランから歩くこと数分、あ、看板がありました。
ジャズ喫茶「ベイシー」です。
僕は今でこそ聞いているのはソウル/R&Bですが、学生時代はごりごりのジャズ・ファンでした。
そして日本で、いや世界でジャズを聴いている愛好家にとって、この「ベイシー」こそが究極に素晴らしい音でジャズを聞くことが出来る聖地のようなところなのです。
(時々はライブもやっているそうです)
「ベイシー」(マスターの菅原さんが敬愛する「カウント・ベイシー」氏の名前から取ったそう)がオープンしたのはもう40年以上も前、オープン当初から店の外壁や構造、JBLのスピーカーなど徹底的に音にこだわったこの店はすぐに評判を呼び、僕らジャズ・ファンはこの店をずっと憧れの目で見続けていました。
行きたいけど遠い、でも実際には「ベイシー」詣でをするジャズ友達は後を絶ちませんでした。
彼ら曰く「鳥肌が立った。あれが同じレコードからでてくる音とは思えない」と大絶賛。
そしてこの日、僕の長年の夢が、もう最近はジャズをあまり聞いていませんが、ウン十年後に夢かなったのです。
二重になったドアを開けると、大音量のジャズが・・・。
飴色の照明に、ミッド・センチュリーの黒い革ソファ、壁を埋め尽くすレコード、ジャズの名プレーヤーたちの写真やサイン、ポストカード、そしてピンクの公衆電話。
昔のように煙草の煙もうもうではありませんが、1950~60年代のアメリカのジャズクラブにタイムスリップしたかのようです。
そして何とも圧倒的な音、噂通りこれは本当にすごかったです。
我が家の貧弱なシステムでは聞こえてこないようなベースの音がはっきりしっかり聞こえる、ピアノの音の粒立ちが本当に良く分かる、演奏者の鼻息まで聞こえてくるような気も・・・。
眼を閉じるとまるで目の前でライブ演奏が行われているかのようです。
東日本大震災のときは、2カ月後に営業を再開したそうですが、オーディオシステムから納得いく音がするまで、調整に1年半かかったとか・・・。
雑誌で見たことのあるマスターもすっかり年配になられた様子、でもかくしゃくとして選曲されてました。
カウント・ベイシーのビッグバンドがかかった時には、もう僕は興奮してしまって「この時間が永遠に続けば良いのに・・・」と、すっかり「ベイシー」マジックにかかってしまいました。
値段はおつまみお菓子付きでコーヒーが1000円。
店はジャズに酔いしれる人多数、皆さん本を読みながら、眼を閉じながら、この圧倒的な音の洪水に身をゆだねています。
僕はそろそろ帰る時間、帰りの新幹線の時間を気にしながらすっかり暗くなった一関の町を駅まで急ぎました。
会合にかこつけての岩手食べ歩き、もうこれ以上食べられないというくらいにいろいろなものを食べたし、グランクラスにも初めて乗れたし、ウン十年の憧れだった「ベイシー」にも行けた・・・もう言うことのない1泊2日でした。