GWはカンボジア (29) 「アマンサラ」の部屋の続きの続き

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「アマンサラ」の部屋チェックの最後です。
部屋の写真を撮っているとあっという間に時間が・・・日本語がほぼネイティブなカンボジア人女性(以前は日本語の通訳だったとか)に綿密に立ててもらった僕のスケジュール、その第一弾の「バンテアイ・スレイ+プレ・ループの夕陽」ツアーに出かける時間が迫ってきています。

ベッド回りもシンプル&エレガント。
デスクにも充分な広さが取られているので、お仕事系だって全然大丈夫です。
デスク上の配置も考え抜かれたうえのものなのでしょう、いつでもピタっとすべてこの位置に置かれています。

こういう「アマン」の本も欲しいなぁ。
ちょっと前に書いたペニンシュラ本といい、僕、こういう本、大好きなのです。
反対側には「アンコール遺跡」の本も・・・。
壁のレリーフ。

壁の色と同じわずかにクリームの入った白の淡色、そして縁無し・・・これも僕、好きなタイプです。
詳しくは知りませんが、アンコール遺跡群のレリーフのモダンな解釈なのかもしれません。

で、最後にウェブに載っている「アマンサラ」の沿革をかいつまんで和訳しておきます。
(http://www.amanresorts.com/amansara/resort.aspx)
「アマンサラはかつてカンボジアのシアヌーク国王のお客様用別荘でした。
アマンサラとは、単語『アマン』(『平和』という意味のサンスクリット語)と『アスパラ』(古代ヒンズー語でいう天からの妖精の意味)を結合させたもの。
以前はヴィラ・プリンシエールまたはヴィラ・アスパラと呼ばれていて、国王の住まいに泊まることの出来ない賓客に対応するために、1962年フランスの建築家、ローラン・モンデ(Laurent Mondet)によって建てられた建物です。
典型的な60年代スタイルで、不定形のプールと芝生のまわりに間隔を空けられて建てられた低めの山小屋風のものでした。
フランスのシャルル・ド・ゴール大統領、ジャクリーン・ケネディ、ユーゴスラビアのチトー大統領、俳優のピーター・オトゥールなどここに滞在した賓客は数知れません。
1965年に、シアヌーク皇太子はこのヴィラを観光省に譲り、4室のホテルに変えられました。
しかし1975年のクメール・ルージュの出現で、ホテルとしては公式に閉鎖、ただし国内用のゲストハウスとしては使われ続けました。
1980年代軍隊に占拠されていた時もありましたが、後に再び12室の規模に拡張され、1992年にヴィラ・アスパラとして再開されました。
2002年にここを購入したアマン・リゾーツは、古い写真と以前をよく知る人たちを探し当て、細心にそれを再現して、アマンサラとして2002年12月に開業しました。
2006年には新たに12室のプールスイートも加わりました。」
だいぶ意訳しましたが、こんな風にウェブには出ていました。

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