泊まっている「ラッフルズ・グランドホテル・ドゥ・アンコール」で朝食。
その後トゥクトゥクでツアーの集合場所である「アンコール・ホリデイ・ホテル」(ANGKOR HOLIDAY HOTEL)に連れて行ってもらうはずだったのに、着いたのは「アンコール・ホーム・ホテル」(ANGKOR HOME HOTEL)という別のホテル。
観光客相手のトゥクトゥクの運転手でもこんなことがあるんだから、似たような名前の多いシェムリアップの町では注意がかなり必要と、しっかり心に刻みました。
で、予定時間ちょうどに日本語がほぼネイティブのカンボジア人男性ガイドが登場。
僕が参加したツアーはミニバスがほぼ満席になる20人ちょっとの団体、名前を「アンコールトム・タプローム半日ツアー」というもので、料金は一人US$15でした。
(僕は間に某トラベル・エージェントを介したので、その5%OFF)
参加者はもちろん全員日本人、年齢層は様々で、夫婦、友人同士が大半ですが、僕のように一人参加という人も、男女ともに数人はいるようです。
結論を先に言えば、もう巧みというしかないあまりにも流暢なガイドの説明に、やはり「日本語でのかゆいところに手が届く説明って良いな」ってしみじみ思える4時間のツアーでした。
まずは僕のようにこの日初めてアンコール遺跡群に入る人のためのチケット購入です。
上の写真は1日券(US$20)用の列、下が僕が買った3日用の券(US$40)の窓口。
3日券には、連続する3日と1週間以内の任意の3日有効の2種類があります。
すべての券で写真が撮られ、それを即座に入れ込んだ紙製のパスが発行されます。
出来上がるまでにそう時間はかからず、カンボジアという国にしては(失礼!)迅速作業です。
これでシェムリアップ周辺の遺跡は「ベン・メリア」以外はすべて入場可能。
どこでもこの券の「あるなし」検問は結構厳重でした。
またミニバスで数分走り、いよいよ「アンコール・トム」とご対面。
「アンコール・トム」とは「大きな町」と言う意味、密林の中、周囲を高さ約8メートルのラテライトの城壁に囲まれた「アンコール・トム」が忽然とその姿を現してきます。
出来上がったのは12世紀とか・・・。
周囲約12キロの城壁内には、十字に主要道路が配置され、その中央に「バイヨン寺院」があり、そこから少し北上したところに王宮があるというのが、その大まかな構成です。
「アンコ-ル・トム」の地図などを載せて一つ一つ覚えている限り詳述しても良かったのですが、ここは遺跡ファンのためのブログではないので、僕のような一般人の見学記として、サラッと流させてください。
まず入り口は「アンコール・トム」の「南大門」からです。
その手前には象の乗り場もあります。
本当はこれに乗って入場したかったですが、僕はツアー参加の身、ガイドの掲げる黒い傘を目印に全員揃ってのゾロゾロ歩きでの入場です。
「アンコール・トム」への堀にかかる陸橋の両脇にはナーガ(蛇)を抱えたデーヴァ(天女)とアスラ(阿修羅)が欄干のように並んでいます。
その一部の首はすっぱり切られている・・・。
正面にいよいよ門が見えてきます。
「アンコール・トム」の南大門です。
大きな顔が塔の上で四方を向いています。
これを見た時、誰しも「あぁ、ついにアンコール遺跡に来た」と実感するでしょうね。
ここからまたミニバスに乗り換えて、「アンコール・トム」の中央に位置する「バイヨン寺院」前まで移動します。
これが「アンコール・トム」の中心に位置する「バイヨン寺院」。
ここはいわゆる「須弥山」(しゅみせん)で、古代インドの宇宙観によると神々が住むところ、または神が降臨する場所だったとのことです。
建築としては、対象形に作られた伽藍が二重の回廊によって囲まれていると言う構造。
でも内部は午後から行く「アンコール・ワット」と比べてとても複雑、きちんとした参拝順路も無い状態だそうです。
シェムリアップの陽射しはもうこの時間(午前9時過ぎ)でも容赦が無く、信じられないほど多い観光客の頭上に降り注ぎます。
この猛暑期のアンコール遺跡の観光は、なかなかにきついです。
帽子はあった方が良いでしょう。
女性は日焼け止めとか、一部の遺跡には虫除けスプレーとかも・・・。
まずは外側の第一回廊の見学、もちろん見ものはそのレリーフ(浮き彫り)です。
後に見る「アンコール・ワット」のレリーフが、宗教・政治色が強いのに対して、ここ「バイヨン寺院」のは、日常的な庶民生活や貴族の暮らしが盛り込まれていて、それらがとても生き生きと描かれているのです。
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チャンパ(ベトナム中部にあった国)と戦うクメール軍。
12世紀に暮らす庶民や貴族の生活模様 - 漁、狩り、炊事、闘鶏、将棋や相撲、出産のシーンなど、ガイドは流暢な日本語で、実に詳しく説明してくれます。
ガイドブック片手の一人旅行では、こうは行かなかったでしょう。
回廊の間から見える「バイヨン寺院」の奥、第二回廊と中央の「中央祠堂」です。
延々と続く細密なレリーフ、圧倒されんばかりの量、埋め尽くされていると言っても良いでしょう。
そして、いよいよ第二回廊へ、更には「中央祠堂」へと上がっていきます。
前にも書きましたが、ここは遺跡マニアの集うところではないし、僕も一般的な興味しか持っていない人間なので、全体的にかなり省略した「アンコール・トム」レポートになっているのはお許しください。