ニューヨーク「お上りさん」旅行 12月31日

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<12月31日>
午後1時頃のタイムズスクエアです。
もう普段より混んでますよね、絶対。

最高の場所にもう場所取りしている人もいます。
それを映すTVクルーも来ています。
ただでさえ工事中の多いタイムズスクエア周辺、この時間でもこの人ごみのせいで、目指すミュージカルの劇場まで遠く感じるほどでした。
ホテルから10ブロック、普通なら1ブロック1分と考えているのですが、この日は・・・・。

そんなこんなで、ミュージカル「JERSEY BOYS」を上演するオーガスト・ウィルソン劇場に到着したのは、午後1時半を過ぎた頃。
予約のEメールと決済したクレジットカードを窓口に見せてチケットを受け取るWILL CALLというシステムもすぐ分かり、ほぼ待たずに劇場内に入れました。
さすがに人気ミュージカルだけあって、中は完全に満席。
よく当日売りのディスカウントのシアター・チケット売り場とかありますが(別の日に、比較的空いているという「サウス・ストリート・シーポート」のTKTSという売り場の脇を通りましたが、大行列でした)、年末年始のような観光的にピークなシーズンのチケットはなんでも予約しておくに間違いはないようです。
短時間ステイで若く「ない」(笑)僕なんかは特にそうです。
時間>>金です。
寒いときに長時間行列に並ぶなんて・・・それなら他のことをしていたいのです。

このオーガスト・ウィルソンという名前、かすかに記憶がありました。
確かユージン・オニールなんかと並ぶ名脚本家ですよね。
中のバーの脇にあるこの写真でアッと・・・。

そうそう、ウーピー・ゴールドバーグが主演したミュージカル「マ・レイニーズ・ブラックボトム」の脚本を書いていたのが彼でした。
実はウーピーの時がリバイヴァル、この写真は彼女(マ・レイニー)の当時のブロマイド(右上)とオリジナル・キャストによる1984年初演の時のパブリシティー・フォトだそうです。
伝説的なブルース・シンガー(ブルースだけではなく、いわゆる「小唄」も歌っていましたが・・・・)の彼女と、当時のカラフルなブラック・カルチャーを多少の悲哀を込めてミュージカル仕立てにしたもの・・・そうです、そうです、思い出しました。
あの劇場なのですね、ここは。
少し脱線しますが、僕は今回3つミュージカルを見る予定にしていたのです。
まずこの「JERSEY BOYS」、それとオール黒人キャストの「THE COLOUR PURPLE」と、さらにもう1つ。
でもそのうちの「THE COLOUR PURPLE」だけは、「ある方法」(笑)で他の人に売りさばいて(これちょっとだけ違法なので、詳細は省略)キャンセルしてしまったのです。
理由は1月9日からキャスト変更、それもチャカ・カーン、べべ・ワイナンズ、ラキーシャ・ジョーンズなんて超有名シンガーたちが入るというとんでもない変更が数日後からあるということが分かったからなんです。
どうせ見るならこの豪華キャスト・ヴァージョンのほうが良いに決まってますよね。
で、キャンセル。
でも見たかったなぁ、このブラック・ミュージカル。
アリス・ウォーカーの原作も読んだことがあるので、余計残念でした。


この「JERSEY BOYS」は、タイトル通りニュージャージーを舞台に、フランキー・ヴァリというティーンエイジャーをりードに据えた実在するコーラスグループ「フォー・シーズンズ」の出世物語をミュージカルにしたものです。
60年代初頭から中期にかけてのファッションやカルチャー、ややせりふは多いものの分かりやすいストーリー展開、随所にちりばめられる「フォー・シーズンズ」のヒット曲、当時の雰囲気を良く出したオールディーズ風のオリジナル曲・・・そして何より、スピーディーでテンポの速い舞台展開に、音楽ファンなら誰でも息つく暇がありません。
ニュージャージーの工業地帯を思わせるシンプルなバックと、簡単な大道具のみのチープな舞台が、ところ狭しと歌とダンスに飛び回る出演者達にはピッタリ合っている感じです。
これは、この時代を体験した「白人」たちにはたまらないミュージカルでしょう。
事実、僕は前から5列目の中央席、それも通路に面した席というとんでもなく良い席に座われたのですが、周囲の客の金持ちそうなこと、年齢層の高めなこと、カラードな人が誰もいないこと・・・このミュージカルの特徴を良く表した客層でした。
個人的にはもちろん大満足、ブロードウェイ特有の幕間をはさんでの2時間以上の長丁場を全く飽きずに見ることができました。
★★★★半の評価です。
ここで実際のフォー・シーズンズの画像を。

これがフランキー・ヴァリです。
「君の瞳に恋してる」はソロになってからの彼最大のヒット曲です。
クリストファーストリート辺りのゲイ・クラブではもうはやアンセム(賛歌)ですね。

ミュージカルを終了して出てくると、もうこの暗さ。
この時期、午後4時半には暗くなりはじめます。
この頃こそ、ニューヨークのサンセットを見るには絶好の時間。
これからロックフェラー・センターの展望台「トップ・オブ・ザ・ロックス」に行ったのでは待ち時間もあるからダメだろうなぁ・・・などと考えます。
でも、でも・・・・実際にはそれどころではありませんでした。
警察による道路の封鎖がかなり進んでいて、通れる道がどんどん少なくなっていっているのです。

通れるところはもうこんな具合で、日本の電車の朝のラッシュ並みです。

ネオンもついて大分夕暮れが進んできます。
ホテルに帰るのも一苦労、通れる道が限られているので、かなり大回りをしなくてはいけません。
でも帰る時間が遅ければ遅いほど道路はどんどん閉鎖されていきますし、急がなくては・・・・通りがかった「RADIO CITY」はネオンがとてもニューヨークっぽくキレイです。
昨日までなら有名な「クリスマス・スペクタキャラー」というショウもやっていたのですが・・・。


結局ブライアント・パークのほうから42丁目に入ります。
それもヒルトンのキーを見せないと通れないチェックポイントが何箇所もあって、です。
まだ午後の5時過ぎですよ。
カウントダウンには7時間以上もあるのに・・・・。
ブライアント・パークには恒例のクリスマスツリーが残っていたので、思わずパチリ。

ロックフェラー・センターのツリーも良いですが、この摩天楼ビューのツリーも相当に「ニューヨークのクリスマス」って感じですよね。

こういう風に閉鎖されているところもホテルのキーがあれば通れるのです。

やっとの思いでホテルに帰還。
こりゃあ、思ったよりカウントダウンの参加は難しそうです。
僕にはこれから7時間もこの寒空の中、それも超人ごみの中、しかも一人で待つ勇気はありません。
半分あきらめかけて、ホテルでゆっくり入浴、これからの作戦を練ります。<12月31日>午後8時ごろ
これだけたくさん報告してても、まだニューヨークに着いて、たったの24時間。
なんてたくさんのことをしたんだ!
我ながら「すごすぎ」です。
ヒルトン・タイムズスクエアのバスルームはバスタブだけ。
高級ホテルに良くあるシャワーブースは無し。
でもアメリカ人サイズでバスタブが大きいので、手足がゆっくり伸ばせて、リラックスできます。
部屋のTVは、地元のニュース専門チャンネルをつけっぱなしです。

LIVEの映像が次々に映し出されますが、すごい人出。
これでトイレにも行けず(だって、これじゃあ行けないでしょう。それに、仮説トイレはありませんって公式サイトにも出ています。皆さん一体どうしているのでしょう)、これからまだ4時間も待たなければいけないなんて、いかにも辛い・・・・もうTVで映し出されているような中心区域には行けませんが、近くならまだ行けるはずです。
でも、でも・・・・どうしよう・・・・気持ちは揺れに揺れます。

午後10時過ぎ、とうとう意を決して外に出てみます。
42丁目の道路は閉鎖済みですが、歩道は歩ける状態です。
騎馬警官とたくさんの消防車が目を光らせています。

午後11時過ぎの、42丁目の歩道です。
「押しくら饅頭」状態です。
地下鉄の駅ももう封鎖されています。
手に手に赤い細長の風船を持ち、0時を今か今かと待ちます。

グループで来てる人は(ほとんどがそうですが)、もう大盛り上がりです。
「肉食人種」的盛り上がりです(笑)。
寒さなんか感じていないかのよう。
で、ついに0時がきました。
カウントダウンをする声がどこともなく伝わってきて、その瞬間、目の前のビルの屋上からも花火があがります。

「ウウォ~~~」という地鳴りのような音。
周囲は阿鼻叫喚。
奇声を上げる飛び跳ねるもの、硬く抱き合って動かないカップル・・・なんか異様な世界です。
どうしてここまで「新年」に興奮できるのか(笑)??
僕は肉は食べるけど、絶対「肉食人種」じゃない!って、心底思いましたね。

この42丁目辺りにいる「あまり熱心じゃない」人たち(本当に熱心な人たちは昼間から中心部にいます)は、0時5分を過ぎると興奮がどんどん冷めていきます。
「さっきまでのアレは何だったんだ」的冷め方(笑)です。
僕は、とりあえずホテルに戻ります。
ホテルまで30秒ですもの。
(こういう時、ヒルトンは便利)
ホテル入り口にいるセキュリティーのお兄さんたちに「HAPPY NEW YEAR」と声を掛けられます。
TVは、新年の瞬間をいろいろな角度から写した映像を繰り返し映しています。

<1月1日>
午前0時半。
また外に出てみます。
地下鉄の駅も開き、だいぶ人通りがスムースになっています。
そんな42丁目で、かなりな人がレジに並んでいるのが外から見える、我らが(笑)「吉野屋」。
入ってみたくありません?(笑)
どんな味なんだろう?

で、結局は食べちゃいました(笑)。
牛丼(BEEF BOWL)でも良かったんですが、日本にはない照り焼きチキン丼(TERIYAKI CHICHEN BOWL)というのにしてみました。
お客はカウントダウン帰りの日本人らしい人もいましたが、ほとんどが非日本人。
スペイン語系の人が多かったような気がします。

味はねぇ、う~~~ん、ビミョーーー(笑)。
アメリカ人の好きなテリヤキ・ソースはことさら安っぽい感じがするし、茹で野菜は大きく切られすぎていて無味、ご飯は思ったよりは日本風な炊き方だけどどこかちょっと?・・・・これで$4なにがしは、僕には高杉晋作。
3分の1も食べないで、残しました。
「不味い」とは思いませんけど、「久しぶりに日本食食べるのならこのくらいでも充分許せちゃうのかなぁ」とは思いました。。
キティーちゃんが看板の店はもう閉まっていますが、たぶんサンリオの店でしょう。

で、僕は吉野家とキティーちゃんの店の間にある「B.B.KING BLUES CLUB &GRILL」のニューイヤーズ・ミッドナイト・パーティーに参加するための列に並びます。

もちろんB.B.キングは戦後の黒人ブルースを代表するまだ現役のブルース・シンガー/ギタリスト。
彼の名前の使用権を獲得した企業グループが、主に白人客を相手に大規模に商売しているクラブとレストランで、この日はほぼオールナイト営業です。
カウントダウンを終えた客がどんどん入ってきます。
朝までハイでいたいという人たちでもう満杯。
まだまだ、皆んな異様なテンションです。

今日のミッドナイト・パーティーの主役は、ニューオーリンズから来た「REBIRTH BRASS BAND」です。
これは良い選択です。
このクラブの「ブルースを含むルーツミュージックに敬意を表する」というスタンスにはピッタリだし、しかも客を乗らせることにかけてはピカイチのグループだから、です。
企画者に拍手。
アメリカのクラブらしくスタンディングで飲んでいる人が多いですが、US$10以上飲食すればテーブルに座れます。
そこで一品、料理も取りました。
ポップコーン・シュリンプ。

この店は、B.B.キングの出身地のメンフィスにちなんで南部料理のメニューが名物なのです。
これもその一つで、日本で言う「エビマヨ」みたいな料理。
ただレッド・ペッパーが、かなり利いています。
吉野家より箸がすすみます(笑)。
午前2時。
リバース・ブラスバンドの演奏が始まります。
バンド前のダンス・スペースはあっという間にギッシリ。
何かに取り付かれたような野獣のようなダンス集団と化します(笑)。

で、このバンド、予想通りすごかったです。
信じられないほどのパワーと溢れるリズム。
ニューオーリンズの伝統が持つマーチバンドの威力(チュ-バやティンパニーを見よ!)に、アメリカ黒人の持つファンクとジャズのサウンドが強力に混ざり合って、もう「音のカオス」というべきサウンドの中に、人の心拍に呼応するダンシング・ビートを絶え間なく送り出してくる・・・これを真のファンクネスと言わずして何と呼ぼう!
(興奮気味ですみません)
素晴らしいの一言です。
これで手も足も動かない人がいたら、その人に音楽は無用だろうと言い切っていいかもしれないほどでした。
彼らのCDを自分の部屋で聞いていたのでは、この「うねる」ようなファンクネスは分かりません。
ライブでこそ実力を発揮するバンドでしょう。

中には、ニューオーリンズ出身者あるいはマニアもいます。
この傘を持っている人が見えるでしょうか。

このスタイルこそがニューオーリンズの伝統的なダンシング・スタイルなのです。
片手に傘を持ち、腰を落とし、リズムに合わせて傘とあいた片手と下半身をくねらして踊るのです。
そして、特に女性は、手に白いハンカチを持ち、それを振りながら踊ります。
このカップルはまさにその伝統的なスタイルで踊り狂っていました。
2時間にもなろうという全力疾走のバンドの演奏に、休むことも無くこのカップルも・・・。
すごい!
参考までに、小さくて申し訳ありませんがニューオーリンズのクラブでの実写写真を。
(傘とハンカチの使われ方の例です)


午前4時。
さすがの僕も、もうダウン寸前。
外に出でもまだまだ人出がかなりあります。
歩いてまた30秒のホテルに帰ってTVをつけると、先ほどのカウントダウンのハイライトをまだまだ延々と放送中。
シャワーも浴びずに、倒れるように爆睡でした。

この日も長~~~~~い一日でした。

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