マイ・ファースト・スペイン (38) 「コロニア・グエル」の風景

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「コロニア・グエル教会」を見た後は、「コロニア・グエル」の集落を少し散歩してみます。
静かな静かな、なかなかに素敵なところでした。
公式ホームページの
   http://www.elbaixllobregat.net/coloniaguell/japones/visitar.asp
から、この地図を借りてきました。
「インフォメーション」でもらえるパンフレットにも載っている地図です。
(教会は⑬、インフォメーションは赤の「i」です)

でもこの地図もいらないほど、本当に小さなエリアです。
通行人もほとんどなく、時々ご高齢の人が通り過ぎるだけです。

公式ホームページ日本語版は
「コロニアの創設者であったエウセビ・グエルが、社宅の棟々が密集した当時の一般的なコロニアとは異なる、労働者が教育、文化、娯楽に接することができる一つの家族の住居のような工業住宅地区(コロニア)の建設を目指したことは注目に値するでしょう。」
と始め
「エウセビ・グエルは文化擁護の立場からコロニアの住民のために、学校、教師の家、劇場、教会、教区会館などを建設させました。
これらの建物の建築には、ガウディの仲間をはじめとして、モデルニスモ派に属する建築家が参加しました。
その結果、前述の壮大な美しさを備えたこれらの独特な建築物が生み出されました。
さらに建築家たちの影響は、その建築様式と技術を仕事を通して学んだ大工たちが建設した労働者用住居においても観察することができます、
コロニアの居住区全体は、建設当初よりL字型に設計されていました。
L字の両端にはそれぞれ学校と教会があり、角に工場が建設されています。
この構図は、エウセビ・グエルが温情主義のもとで理想の社会モデルを構築するためのイデオロギーの原形であるとともに、明白な生産主義社会の構図であるといえます。
モデルニスモの独特な建築様式の壮麗な建築物と、それらよりもつつましく大工たちによって建てられた建築物に加え、年が経つにつれ、さらに質素で品位に劣る住居が建設されるようになり、1950~60年代にいたっては、コロニア全体とは不釣り合いな建物も建設されました」(一部編集)
と、「コロニア・グエル」について詳述しています。

引用が長くなりすぎました。
より詳しくは上記公式ページをぜひご参照ください
スペインでは1月6日まではクリスマス、家々には窓を上っていくサンタクロースの飾りが目立ちます。

華美に過ぎないで、こういうの本当に素敵です。

これは「コリニア・グエル」の代表的な建物「エスピナル邸」。

実際に今も人が住んでいるようです。
地図の⑧です。
その奥の地図でいう⑦は学校と先生の家だそうです。

そしてここが「コロニア・グエル」の中心、「ジョアン・グエル広場」です。

その中央には、コロニアの創設者であるエウセビ・グエルの像が設置されています。
周囲にはレストランや劇場(?)などもあり、今日でもコロニアの社会生活の臍的存在となっているところだそうです。

ほとんど人気(ひとけ)のない集落。
でも人の営みは、もちろん2011年です。
車も沢山の駐車してありましたし、緑のゴミ箱にはゴミも捨ててあったし、郵便配達のおじさんは郵便を配達してましたし・・・。

いや~~、静かに心洗われるような良い時間を過ごさせてもらいました。
ここがバルセロナの中心からたったの20分ですからね、バルセロナがうらやましい。

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